いきたきのこ

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助けない助け方

(あきらめる&あきらめる2 のつづきです。)

昨年、日立市で、べてるの家の講演を聞いたときには、
会衆から、講演者の、精神分裂病であるMさんに、
こんな質問があった。
「病気で困っている人に対し、Mさんみたいに明るい気持ちに
なってもらうには、どうしてあげたらいいでしょう?」

私たちには、完全に、
「二元的価値観」が、しみついている!

健康であることがいいことで、
病気で困ることがよくないこと、

健常者が、助ける人で、
病気の人が助けられる人、というふうに。

だから、こういう質問をしてしまうのだ。
Mさんは、即答した。
「なにかしてあげるって・・・
それって傲慢でしょう。
なにもできないよ。
だって、オレたち、無力だもん♪」

今回の、向谷地さんの講演では、
依存症へのサポートを例に出して、本人だけでなく、
「家族」
「援助者」
「治療者」も、サポートの対象である、
ということが言われていた。

治療者と、被治療者の区別なし!

誰でも当事者性を持つ。

A子さんという人が精神科病棟を、
退院することになった。
退院にあたり、そのお母さんが、
その後はどう接したらいいのか、向谷地さんに相談に来る。

向谷地さんは「なにもしないことをがんばってください」と
アドバイスする。
お母さんは、「自分の育て方のせいで・・」と自分を責めている。
そして、その後は、案の定、娘に気遣いし、
ほっといてほしい娘を、イライラさせることとなった。
(そのエピソードはとても面白いが省略)

精神科の病気ということでは、
娘さんだったのかもしれないが、
どちらの心が健康で、
本当に援助、治療が必要なビョーキだったのは、
どちらだったのか、
ということである。

鍼灸師になるような人だとか、
医療関係に就く人は、
少なからず、誰かを助けたい、と、
思っているのではないだろうか。

そして、「あなただけが頼りなんです」と言われたり、
「あなたのおかげでよくなりました」と言われたら、
とてもいい気持ちになる。
「アア、人助けができた」と。

実は、その時点で、助けるつもりが、逆に、
患者さんに助けられている。

治す人、治される人、ではなく、
お互いさまなのだ。

日常生活でも、助けているつもりが、
助けられている現実がたくさんある。

それに気づかないで、
助ける役割、助けられる役割に
どっぷりはまると、
共依存、という、ひとつの中毒になる。

現代の問題の解決の仕方は、
「本人」が苦しまないように、
「周り」が、走り回る。
たとえば、先回りして、
その人の前にあるゴミを、
取り除いてあげるようなことをしたくなる。
その人が、苦しまなくてすめば、
こっちの気持ちが、助かるからである。

非援助の援助とは、何をしてあげるかではなく、
何をしないか、というセンスだという。
誰でも、苦しむ権利があって
その権利を奪わない。
その人が、自分で歩いている、という主体性を
そこなわない援助。

私が、べてるの幻覚妄想大会に行ったとき、
どの人が精神病で、
どの人がお医者さん、看護師さんなのか、
見分けがつかなかった。

どちらが、強者、どちらが弱者で、
どちらが助ける人、どちらが助けられる人ではない。
誰でもが当事者ということを、忘れてはいけないと思う。

「非援助の援助とは?」だとか、
人様を助けるなどと、考える以前に、
自分が、助けられなければいけない張本人だ、
ということに気づかされる。

そして、その助け手は、他の誰でもなく、自分だ。

それに必要なのが、他人からの、「助けない助け」であり、
それで、自分で自分を助けて歩けるようになり、

そこで初めて、
誰かを、「助けない助け方」ができるように
なるのだろう。
(だから、今の私には、人を助けるだとか、
ということは、時期尚早。)

  1. 2006/01/18(水) 00:00:00|
  2. 心と体
  3. | コメント:3
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コメント

ありがとうございました(^-^)g

続き書いていただいてありがとうございました!
十薬さんのブログで「べてる」の存在と向谷地さんを
知る事が出来たは私にとってとても素晴らしい
出会いでした。
実際に、「べてる」の講演にはいけない状況ですが、
向谷地さんの書かれている記事などを読ませていただいて、
深く、深く私の中で「温かい心」を感じる事ができました。

十薬さんにも実際、お会いする事があるかは
分かりませんが、これからも色々勉強させてくださいね。

私の目標は「温かい人」になる事です。
がんばります!
  1. 2006/01/18(水) 22:56:54 |
  2. URL |
  3. サニー #f6cPrXIQ
  4. [ 編集]

私の場合、まずは否定と量から入ります。

今回の記事。自然なお話だなあと思いました。
そしてステージが高い。重要ですね。
否定の否定を経た人たちの境地ですね。
しかしこの境地は最初から「これ」を目指しても無理なわけで、まずはこの場合であれば初期段階では
「助けまくる実践」をして、相手にいやがられたり、
自立の機会を妨害したり、
あるいは挫折したりして、
自己満足や共依存であったことを、
知識ではなく肉心で知るわけですよね。
その過程こそが大切だと私は思います。
なぜなら、この記事に出てくる方たち自身が、
そういった過程を経て、否定の否定である、
「助けない助け」を獲得していると思うからです。
だからこそ、初心者はまずは、
単純に「助けまくる」量(経験)こそが必要だと思います。
それがあって初めて量が「質」に変化し、
否定の否定が可能となるのではないでしょうか。
  1. 2006/01/19(木) 11:19:15 |
  2. URL |
  3. 三節 #EBUSheBA
  4. [ 編集]

三節先生、こんにちは。
そうですね!体感して失敗しなければ、
本当の意味でわかりませんね。
特に私の場合は、SOSを出すことが得意でなく、
一人で困っている場合が多く、助けられ体験も、少ないです。
助けてもらって相手をわずらわせるのが悪いと思ってしまいます。
裏返してみれば、実は、自分の方が人からわずらわされるのが嫌なんです。
とりあえず、遠慮せず、助けてもらう体験を積みたいです。

あと、べてるの家では、川村先生(自称治せない医者)という、
これまた、すばらしいお医者さんがいらして、
医療者と患者との関係について下記のように
語っていらっしゃいます。
http://www.yuki-enishi.com/messages/messages-07.html
ここに書いた事はそのことも含まれています。

サニーさんこんにちは!
助ける、助けられる、ということに関して、自分を省みると、
どんどん書く気が萎えてきていたのですが、
ようやく書きました。
サニーさんのサイトを拝見すると、
温かさは、すでにいっぱい、にじみ出ていますよ!
  1. 2006/01/19(木) 14:31:35 |
  2. URL |
  3. 十薬 #-
  4. [ 編集]

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