いきたきのこ

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バウンダリー(境界線)の侵犯とは③

きのうのつづき

そして、他人の領域を侵し、
「あの人を世話してあげるために、自分は犠牲になる」
となったら、その人は、自分自身の人生をおろそかにしていることになり、
他人のための人生となってしまいます。

マザーテレサさんの行為を「犠牲的愛」などと表現される場合がありますが、
それは違うと思います。
あの方は、他人のために献身的に尽くされた方だと思いますが、
「犠牲」ではなく、
あくまでも「自分の幸せな人生」のための、自らの選択として、そうしたのです。
そして、他人の人生を侵し、幸せにするようコントロールしたわけではなく、
自分の無力もしっかりわきまえていたんだと思います。

いくら他人のために尽くしても、自分の人生を生きていた。
つまり、しっかりと、「他人と自分との間に境界線を引く」ことができていた、という
言い方もできると思うんです。

さて、その逆の場合、「侵されてしまう」場合です。

そうなんです。人間は関係の中で生きているから、
「他人の目」を気にします。
「世間」を意識し、
「世の中の風潮」と自分が合っているかどうか、不安になり、
また、他人からの攻撃があったとしたら、それに過敏になります。

それは、全然悪いことではありません。

人間関係の中で、うまくやっていくには、そうあった方がいいこともあるし、
他人に評価されようとすること、世間に認められるようにすることは、
自分のためのバネになったり、モチベーションになったりします。

ただ、「他人((親、子、パートナーを含む)」、「世間」、「世の中」の目を、自分の領域内に入れてしまい、
それによって、本当の自分自身が損なわれてしまう場合があります。

つまり、自分の価値基準でなく、
他人の評価によって、
自分が有頂天になったり、落ち込んだり、ムキになったりと、
それに人生すべて、左右されてしまうのです。

こうなったら、どんなに周囲と円満にやっていけたとしても、
どこか、自分がなくされてしまったような、空しい気持ちになるでしょう。

ここにも、他人と自分との間に一線を引き、
自分という存在の価値を守る必要があります。

そして、もうひとつ、いわゆる「受けやすい」場合。

私なども、人の治療をしていて、具合が悪くなったり、
ヒーリングをしていて胸が張り裂けそうになったり、
人ごみで苦しくなることを、問題だと思っていました。

でも、これも「共感力」という点では役に立つ場合もあるので、
あながち問題ばかりではない気もしますが、
自分を侵されないに越したことはありません。

このときにも、自分には、他人の苦しみを引き受ける力はないし、
その責任もない、という、
いい意味?での無力感とわきまえ、
そして、自分の及ぶ力や、受け止められる力はここまで、という、
謙虚さがいるんじゃないかと思います。

こんなわけで、「他人と自分の間に、心の境界線を引く」
ということは、あらゆる面で、
とっても大事なことだと思っています。
と、カウンセリングの勉強をしていたときは、
理屈っぽいことを考えていたのですが、
シータヒーリングでは、まったく思いもよらない方法で、
他人との境界線を引くことができたりするんです。

私も本当にびっくりしたというか、笑ったというか・・・・

その、体験談は、次にご紹介します!
  1. 2009/07/25(土) 00:00:00|
  2. シータヒーリング
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