いきたきのこ

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バウンダリー(境界線)の侵犯とは②

きのうのつづき
関係性の中で生きているのが人間です。

もしも苦しんでいる状態の人がいたとしたら、
その人を心配したり、助けたいと思ったりすることでしょう。

そうだけど、心配したり、助けたいと思うあまり、
自分の境界線を越えて、その人の領域に侵入してしまったら。

相手は息苦しくなるでしょう。

それは、相手の「苦しむ権利」を奪うことであり、
相手の「立ち直る力」を信じていないことになるからです。

とくに親子関係に例をとると、わかりやすいでしょうね。
親は、精一杯子供のためを思って、いろいろ手を貸そうとする。
子供が間違った方向にいかないように、レールを引く。

子供の方は、親が自分のためを思ってくれていることは、よーくわかる。
よーくわかるのに、なんだかいらつく。

大事にされているようでいて、そうじゃないように思える。

自分の目の前にあった障害物。
それは、自分の力で越えられる、越えたいと思っていた障害物なのに、
おおきなお世話でそれをはずされてしまった、そんなかんじだから。

こういうの、「一見愛情に見える、境界線の侵犯」というんじゃないかな?と、私はとらえます。
「存在の根源の定義における愛情」ではないんです。
男女関係、友人関係、職場関係でも、あることでしょう。

私も、人間関係の上で、何度もこういうことをやってしまいました。
これは、親切でやったつもりで、あとでなんだか苦い思いが残ります。
そしてはずかしい。
親切のつもりでいて、実は自分がいい気持ちになりたいだけだったから・・・・

そして逆に、他から、自分の領域を侵されるのをゆるしてしまうことがあります。
それは、よそに問題がある場合もありますが、
こちら側が境界線をわかっていないことも多いんです。
長くなりそうなので細切れにかきます。つづく
  1. 2009/07/24(金) 00:00:00|
  2. シータヒーリング
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