いきたきのこ

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あやまるということ2

だいぶ前、2006年!?ホームページに書いた、
「あやまるということ」
http://www.geocities.jp/dokdam/zakki31ayamarutoiukoto200612.htm
の続きです。
長いこと、つづきを書かなければと思っていたのですが、
自分のことを書くのは気が重く、伸ばし伸ばしとなっていました。

私のやらなければならなかったこととは、
自分自身にあやまることでした。

いままでまったく自覚がありませんでしたが、
カウンセリングを学ぶうちに気づいたのは、
どうやら自分は、自分を罰し、責める傾向にあるということでした。

ときどき「わたしってダメ、わたしのバカバカ!」
と、やっていると、
夫がフシギそうに、
「なんで自分を責めるんだ?別にダメで、いいじゃないか」
と、言うのです。

このとき、初めて、
「ハァ~、世の中には自分を責めない人がいるんだ」、
と思ったくらい、
自分を責めることが当たり前になっていたので、
自覚さえなかったわけです。

遊んだり、ダラーっとしているとき、
どこかにそういう自分を責めている自分がおり、
何かを頑張っているときには、
そんな程度じゃダメだと、責めている自分がいる。
なにをしていても、心から楽しめず、苦痛を伴っている感じが
ありました。

それをあやまりました。

自分に、つい、「このバカ!」と、思うたびに、
「あっと、ごめんね!つらい思いをさせてきちゃったね。
いままでもずうっと、こうやって、いじめつづけてきたんだよね。
だめであたりまえなのにね。
それが今の正しいあんたなんだよ。
本当にいじめてゴメンね。」と。

自分で自分にあやまる、
これは、とても新鮮な感覚です!
自分自身を、鼓舞したり、叱咤激励することはあっても、
あやまった経験のある人は、
あまりいないのではないでしょうか。

あやまってみて、初めて、
何十年もの間、味わわなくてもいい苦痛を味わってきたんだなあ、
もっと楽に生きられたのになあと、
気づいたのでした。

そうして、その後はとても日常生活がラクになりました。
普通に呼吸しているのさえ、ラクになったという感覚です。

自分が自分にあやまったということは、
つまり、
自分に、
今のそのままで、生きていていい、
という承認を与え、
許したということでした。

人は、誰でも、人の役に立ちたい、とか、
やりがいとか、
成果や実績などを求めると思います。
それは、究極は、
自分がこの世に存在している価値を
確認したいからだと思います。
それは、自分が成長、向上するための動機づけともなるでしょう。

しかし、
もしも、何もできず、役立たずの、ろくでなしであったとしても、
生きていい価値には、何の変わりもないのです。

どんなにスバラシイ人間となり、
他人や世間から、高い評価や賞賛を受けたとしても、
もし、自分自身が、自分の存在価値を認めていなかったら、
決して、満足感は得られないことでしょう。

逆に、良きにつけ悪しきにつけ、
どんな状態の自分であっても、自分の存在を尊重できる人は、
幸せです。

自分を責める癖は、なかなか抜けません。
今も、事あるごとにあやまっています。
徐々に、大手を振って、ダメな自分でいられるようになってきました。

そうして、今まで目クジラたててきた、さまざまなことが、
気にならなくなってきたようにも思います。
どうやら、自分を許すと、人を許すことができるようになってくるようです。

私以外にも、知らず知らず、自分で自分を罰している人は、
少なくないのではと思います。
過食や拒食、自傷行為、モノや人への依存も、
そのひとつだと思います。

今の自分が生きていることを、自分で承認できるか否かは、
自分がなにがデキルか・デキないか、
なにかを持っているか・いないか、以上に重要なことです。

万が一、
健康、大事な人、能力、財産etc.
自分の大切なものを失ったときに、
それでも、自分の足で立っていられるかは、
それにかかっているといっても
過言ではありません。










  1. 2008/01/20(日) 00:00:00|
  2. カウンセリング
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