いきたきのこ

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嫌な感情とつきあう/共感性(ねたみそねみのつづき)

他人を見て、いやな感情が沸きあがったとき。
(それは「ねたみ」に限らず、
明らかに相手が悪いから起きる「怒り」や「嫌悪」かもしれない。)

通常は、そのいやな他人に、どう対応するか、
もしくは、自分のいやな感情を消し去るためにはどうしたらいいか、
対策を考えることになるでしょう。
まーまー、そんなことは忘れて、明るくよいことを考えましょー!、と。

しかし、カウンセリングを勉強していると、
カウンセラーから何も言われなくても、
必ず、ある問いが、聞こえてきてしまうのです。

今、いやな感情が起きていること、

「それは、誰の問題?」
「あなたの、何が反応して、その感情が起こっていると思う?」

いやな感情をもつたび、
毎度、自分自身の心と、
ごまかすことなく対峙せざるを得なくなって
くるわけです。

それはきつかった。
自己憐憫でなく、
対峙してみると露呈してくる、
哀れでみじめな自分を
客観的に、キッチリと見つめなければならない。

自分が粉々に打ち砕かれていく。
そのくせ、自分がいっこうに良く変わっているとも思われない。
(多くの人がカウンセリング2年目でやめたくなったと言っていました)

(その「問い」の答えは、ここではあえて書きませんが、
シンプルで、多くの人に共通したものだと思えます。
それは、人間の根源的なものです)

しかし、自分が変わっているとわからなくても、
一緒に勉強している仲間が変わっていくのは
わかりました。

どう変わっているかというと、
私から見ると尊敬に値するようなリッパな方からは、
はじめの頃は上からの目線を感じていたのが、
勉強が進むにつれ、
私と同じ目線にしっかりと降りてきて、
話を聞いてくださるように感じられてくるのです。

それは、その方も、カウンセリングを通じて、
打ち砕かれる体験をしたからでしょう。

そして、私自身も、仲間から見れば
変わってきていたようです。

それは、カウンセリングに必要な、
「共感性」が(ほんのわずかですが)
育ってきたとでもいいましょうか。

共感というのは、同情とも、傷のなめあいとも異なります。
「ま~、お気の毒に~」
「ウンウン、わかるわかる、私も同じ経験したわ~」
と、いうのとは少し違うように思います。

相手の経験や心はわかろうはずもありません、
でも、人間の根源性にかかわる苦しさは万人共通、
それがわかると、
相手と同じ高さに身を置き、
沿い続けることができる、ということではないかと思います。

たとえば、子育ての悩みを聞いても、
経験のない私にはわかりません。
病気のつらさを聞いても、どれほど苦しいのかはわからない。
でも、共感することはできるのかもしれないと
思うのです。

いやな感情が起きたとき、
「それは誰の問題?」
「あなたの、何が反応して、その感情が起こっていると思う?」
と、自問してみるのは、
冷静になって、自分を知るための
いい方法なんじゃないかと思います。








  1. 2008/02/13(水) 00:00:00|
  2. カウンセリング
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