いきたきのこ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

驚異のレッサーパンダ犬

おとっつぁんとイヌ。

otottuxann

ところで、
体はシロイヌ、
顔はレッサーパンダという恐るべき生き物がいる。

コロチャンコースで、よく会える。

コ、コレ。

レッサーパンダ犬。
ressa-pannda
柴の雑種と一緒にオサンポしていて、とてもかわいいの。

しかし、肝心の、お達者犬、コロチャンに、しばらく会っていなかった。
今日、久しぶりに飼い主さんに会い、
コロチャンは?お元気ですか?と、聞くと、

「死んだ。先月。」

ころちゃん1
コロチャン・・・・


ころちゃん3
怒りっぽいって聞いたけど、ウチのおてんば小娘たちには、シッポを振ってくれたコロチャン・・・・

ころちゃん2
享年だいたい21歳。
苦労もしたけどよく生きた・・・・

korotyannko-suno
コロチャンコースの夕暮れ
スポンサーサイト
  1. 2009/10/31(土) 20:57:31|

認知のゆがみ(安心して絶望しきれない人)

(前回のつづき)

土台にあるもの、それは、前も書いたことがあるけど、
存在不安です。

この世に存在していいんだ、という承認を、自分で、自分に与えられない。

しかし、一生懸命に努力して生きている人ほど、こう言うでしょう。

「いいえ。そんなことはない。
私は、私の存在価値を認めています。」

でも、その存在価値は、条件付き(Doing)なんです。
頑張った自分、よい結果を出した自分、成功してるとき、
他人が認めてくれたときなら、存在価値を認められる。

その逆だったら?
怠け者の自分、失敗した、堕落した、
罪を犯した、他人から拒否された自分だったら?

もしもそういうとき、そんな自分は認められないと、
否定し、落ち込むのなら、
自分の存在価値を、無条件には、認めてないってことですよね。

でも、一生懸命生きてる人は、そんなときにも、
ほんとの自分はもっとマシだと思いたい、
そして、これ以上落ちたくない。
どん底には落ちたくない。
そして、もがく。
だから苦しい。
たぶん、安心して、絶望しきれないんですね。

うつ病にかかったK先生は、頑張っている自分が好きだったそうです。
そして、頑張れない自分を否定していたから、より苦しかった。
無条件に自分の価値を認められなかった。

でも、ついに絶望し、白旗を上げ、
自分のエゴに完全降伏し、
底付きし、神に任せた。

そこで、ようやく、

「神様は、できるできないで判断しないんだよ。存在するだけでいいんだよ」という
少年の言葉が、心の奥深くまでしみとおったのでしょうね。
(実は、このメッセージは、K先生自身が、少年に与え続けたメッセージでもあったわけですが)

心の奥深くでは、「自分は、本当は、自分の存在価値を認めていない」。

でも、それを払拭したくて、必死で一生懸命生きている人は、
この「自分が自分の存在価値を認めていない」ことは、
「認められない」。

カウンセリングやヒーリングでも、私はそこには踏み込めません。
なぜなら、
「自分が自分の価値を認めていない」ことを、
ほんとうに「認めること」は、
自分で自分に死ね、というくらい、つらい、絶望的な、おそろしいことだ、
と、潜在意識は判断し、隠しているのかもしれませんから。

K先生は、底までついたとき、
がんばれない、怠け者の自分を、それも大切な価値ある自分、と認められるようになったといいます。

人は、自分で自分を受容できないとき、
他人に受容を求めます。

これは、カウンセリングを学んで、一番心に残っているT先生の言葉です。

他人から、どう受けとめられるか、認めてもらえるのか、評価が気になり、
それによって、気持ちが、上がり下がりする。

だから、
「他人から、受け入れられなかったということは、自分がダメだという意味ある。」
そして、「人は、いつも私の気持ちを、肯定的に受け取るべきである」などという
思いこみができてきます。
私のように。

人の目が気になる。人の顔色をうかがってしまう。他人の反応を気にしてしまう。
誰にでもあることですよね。
そのときに、自分の気持ちが
他人によって、有頂天になったり落ち込んだりさせるようなものだと感じたら。

他人に対し、
「そんな言い方ってないじゃない」
「ひどい目にあわされた」
「白い目でみられた」
「人格を否定された」
と、感じ、腹が立ったり、落ち込んだ時。

それは、
「私は、自分の存在価値を、無条件には認めていないんだ」、
と、
自分の本音を、正直に認める、チャンスにもなるんですよね。

自分は、まさしくダメ人間である、と、
絶望的なときにも、
ムダに、もがかずに、安心して絶望し、底まで落ち、
神様にお任せできるんじゃないか、
と、期待できます。
  1. 2009/10/30(金) 00:00:00|
  2. カウンセリング

認知のゆがみ(簡単に、へこむ人、キレる人)

前回のつづき。

こういうのは、本人より、他人の目からから見た方がわかる。
その人の潜在意識は、本人が気づかず、
他人の方がよくわかる場合があるのです。
 
私は、手紙を断られたときに、「迷惑がられた」と、勝手に解釈し、
ただ喜んでいただきたかっただけなのに、と、
その自分の気持ちを、否定されたととらえました。

これが認知のゆがみです。

断ったのは、単にその方の都合だし、知らせてくださったのは、
こちらへの配慮だったかもしれないにもかかわらず、
私は自分への否定と受け取ったのです。

その裏にある私の思いこみは、

「人は、私の気持ちを、なんでも肯定して受け取らなきゃダメである。」

「断られるということは、私の気持ちが否定されたという意味である。」

だから、断られた→私の気持ちを否定された→がっかり→他の人も否定するかもしれないという恐れ
→もうやめた
という思考の飛躍が起こっています。

ここでは、私の恥ずかしい話を書きましたが、
断られたり、注意を受けたり、自分にとって都合のわるいことが起きたときに、
簡単に、へこんだり、キレたり、過度に気にしてしまったり、
パニックを起こしてしまう場合がありますね。

その場合、似たような認知のゆがみが起きていることがあります。

自分に都合のわるい事実=自分が否定されたということである
=それは自分がダメだという意味である

↑というおかしな考え。

そして、落ち込む、ムキになって怒る、パニックになる。

その土台になっているものって、何だと思われますか?
  1. 2009/10/29(木) 00:00:00|
  2. カウンセリング

認知のゆがみ(自分の心の仕組みを知る)

このブログは、本来、鍼灸院の宣伝のためにあるのですが、
その目的は、まったく機能してません。

この界隈で、ネットで鍼灸院を探す方は、皆無に等しいですから。
また、治療を受けてくださる方々で、ネット環境にある方は、ごく少数なのです。

多分、読者は、身内や知り合いと、犬好きな人だと思います。
あとは、鍼灸用語で検索された同業者の方です。

鍼灸の患者さん向けにつくってるつもりのブログが、
その対象の読者はおらず!
全然関係のない方々が読み、
しかも、その方々のために役立つ情報は、これっぽっちも提供していない!、
という妙なことになっています。

そんなわけで、ネット環境にない患者さんに、ちょっぴり役立つ情報を届けようと、
これまでは「チカチカ通信」という手紙を、
治療を受けて下さった患者さんに、お送りしていました。

でも、あるとき、ある方に
「もうダイレクトメールは送らないでほしい」
という手紙をいただいたのです。

そこで、
私は、
正直がっかりしました。

そして、
「私はただ、来ていただいたお礼の気持ちと、
ちょっとした情報を届けて、喜んでもらいたかっただけなのに。
他にも、手紙をもらって迷惑な人がいるかもしれない・・・・
ひとりひとりに、その確認をするわけにもいかないし、
つくるのも面倒だし、もうチカチカ通信を出すのはやめよう」
と、思って、やめてしまったのです。

ここで、
私はなぜ、がっかりしてしまったのでしょうか。
人が、がっかりする、ムカツク、落ち込む、恐れる、
その裏には、その人それぞれの、思い癖(思考パターン)があり、
それによって、ものごとをゆがめてとらえてしまうことにあるんですよね・・・
私が、ゆがめてとらえてしまったことって、いろいろありますねェ・・・
どんなことだと思われますでしょーか。つづく
  1. 2009/10/28(水) 00:00:00|
  2. カウンセリング

絶望の種類(一元的なとらえかた)きのうのつづき

K先生が「どうすれば自信を持つことができますか?」とたずねたときに、

T先生は、
「自信を持つ方法」を伝授したのではなく、
「神に仕える身でありながら、そんなことでどうする!」と、叱咤するわけでもなく、
「もっと前向きな考え方をしてみてはどうだ」とアドバイスするのでもありませんでした。
T先生も牧師なわけですが、こう答えるわけです。

「自信なんか、もづことねぇ!
自信なんか、もどう(持とう)とすっから、つらくてウツになるんだ。
我力の人生とオサラバだ。
そうすっど、神様から、本当の生きる自信あだえられっぞ(山形弁)。」

そして、K先生は牧師の立場として、
自分に絶望することが、我力(エゴ)を手放し、
神に心をつくして信頼することとなった、
可能性を断たれることが、まことの信仰を生みだすプロセスだった、ということを語ります。

そういえば、 私は、K先生が、その、重度のうつ病から、回復した直後あたりに、
この先生のセミナーを受けているのです。
その時のメモがありました。

先生は月に100人ほどのカウンセリングを行なっていたときにウツになり、
カウンセリングができなくなりました。

カウンセリングができなくなって申し訳ないと
つらい思いでクライアントの一人の少年に告げます。

ひきこもりから、統合失調症になった少年で、
だんだん良くなり、これからだ、というときでした。
すると、少年は言うのです。

「神様は、できるできないで判断しないんだよ。存在するだけでいいんだよ」と。

それを聞いて、先生は泣いてしまったそうです。

んで、何が書きたかったかと言うと、
絶望に種類があるとしたら、それは、
「安心してできる、絶望」と
「安心してできない、絶望」
なんじゃないか、ということ。

夫が、「よく、そんな話、人前でできるな」と言ったように、
世の中には、安心して絶望を語れる場所は、なかなかないし、
絶望を自覚すること自体、とてつもなく恐ろしいことですから。

安心して絶望できる人生、という斬新な言葉を思い出したのは、
そういう題名の本があるからですが(向谷地さんというソーシャルワーカーがお書きになっています)

このK先生の安心はどこにあったかというと、

絶望は否定すべきこと、で、
絶望しないことが、いいこと。

自信を持つことがすばらしいこと、で、
自信がないのがダメなこと、と、
誰からも、「二元的価値」で受けとめられなかったことです。

「絶望的で、自信がない」、
それにちゃんと向き合い語ることができたこと、
そして、そのまっただ中にあるその位置を、否定されることなく認められ、
さらにそこに光が当てられたこと。

それが、安心して底づきし、浮上する力につながったのではないかと思います。

本当にキツイのは、安心して絶望できないこと、
絶望していることに気づくことさえ、できないこと・・・・・

そのことについても書きたいことがあるのですが、
またこんど。
  1. 2009/10/27(火) 00:00:00|
  2. カウンセリング

絶望の種類(一元的なとらえかた)

さいきん、私がカウンセリングを学んだ講師のひとり、K先生のお話を聞きました。

この方は、若いころ、不登校、神経症、ひきこもりを経験し、
カウンセリングを通じて回復し、
現在は、牧師でカウンセラーとして活躍されています。

過去にそんな経験があり、
そして、今はその経験を生かし、活躍している今がある、
というと、よかったねえというストーリーですが、
そう単純ではないのが、現実です。

この方が、6年ほど前、重度のうつ病にかかってしまったというのです。
うつがひどく、うどん1本すすれなくなり(その気力さえなくなり)
涙を、うどんのおつゆに、
チャポンチャポン落とし、「白旗だ・・・もう白旗だ・・・」とつぶやいていた、
というお話が、リアルでした。
そして、この方、牧師なんですが、うつから立ち直らせてくださいと祈らず、
どうぞ私の命を取り去ってください、と祈ったそうです。

そんな話を夫にしていると、「よくそんな話が人前でできるな」と言いました。
夫は、そんな話を人前で話すなんて恥ずかしいこと、という捉え方をしたようでした。

病気から立ち直り、
いまは、牧師として、人を導く立場。
そして、実際にウツ状態の人へのカウンセリングを行なって、
励ましを与える立場にあるわけですから、
そんな人が、うつ病になってしまったことに対して、
あまりいいとらえかたを出来ない人もいるかもしれません。

ご本人にとっては、「絶望」状態だったということでした。
そして、かつてカウンセリングを受けたT先生に相談をするのです。

「生きる自信がなくなりました。どうしたら先生のような自信がよみがえるのでしょうか?」と。

通常だったら、どんな答えを想像されるでしょうか。
つづく
  1. 2009/10/26(月) 00:00:00|
  2. カウンセリング

グチや文句の言い方

siraito
白糸の滝とじょい子

gussuri
車のなかでぐっすり、めり子

ジョイスとは何度か旅行したことがありますが、メリーとは初めてでした。
あのギャンギャン鳴きだけは、ご勘弁いただきたいと思っていたのですが、
ペンションでも、観光地でも、とてもおとなしくオリコウめり子でありました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
話かわって。

私は、グチや文句は、よくグダグダいいます。
その言い方は、昔と今は違います。

昔は、
「あの人、すごく失礼なこと言うのよ!ひどいと思わない!?」というかんじでしょうか。

今なら、
「すごく侮辱された感じがして、ムッとしたんだよね!」って言うでしょう。

どう違うかといいますと。

まず、

前者は、
「あの人」が主語で、

後者は、
「私」が主語なんです。

「(あの人)が失礼なことを言って、
(あの人)がひどい」
のではなくて、

「(私が)侮辱されたと思い、
(私)がムッとした」
わけです。

そして、
以前だったら、「あの人」のことだけ言ってますが、
今は、自分の感情について言います。

言われた時、どう感じたか?
侮辱された、ムッとした。
どうしてムッとなったのか・・・・・

私は「失礼でひどい」、と思ったけど、他の人もそう思うとはかぎらないんですね。
そして私が、侮辱されたと感じたのであって、他の人は違うかもしれません。
すると、これだけで、いろいろと気づかされることがあるのです。

「あぁそーか」

問題の位置がわかってきて、いろいろ見えてくるんですね。
「あの人」の問題ではなくて、
それに強く感情を引き出された、「自分自身の問題」が。

自分がどういうことにこだわっていて、
どういうことにコンプレックスがあるかどうかが。

皆様も、日常、いろいろとムカツクこともあり、
それについて語ることも多いと思いますが、
たいてい「あの人があー言った、あーしたこーした、あーやった、」という話になるんですよね。

そして、私たちは、自分の感情を「感じる」ことに慣れてないんですね。
ムカツクー!という単純な言葉は使うには使いますが・・・・

そして、慣れてないと、
自分のネガティブな感情を知るのが(本人は気づいてないけど)
こわかったりするんですよ。
いい人、すばらしい人にならなきゃ、って思ってれば思ってる人ほど。

侮辱されて悔しかった、とか、
ダメな自分を指摘されて悲しくなった、とか、
落ち込んだ、とか、
図星を突かれて強い怒りが噴出した、とか。
そんなこと、知りたくもないかもしれない。
知りたくないどころか、自分がどう感じていたかが、わからないことさえあるんです。

私は、シータヒーリングを用いてカウンセリングをするとき、
その「感情」を、よく聞きます。
すると、「そんなこと、考えたこともなかった」ということも多いのです。

または、
「気にしてません。そんなことたいしたことではない。」
と否定されるか、話をそらされる場合もあります。
または、「あの人がああした」という事実を繰り返される場合もあります。
本当に、私たちは、そのときほんとうはどう感じたか、
「自分の感情を感じること」に慣れていないのです。
感情についてお話になりたくなさそうな場合は、もちろんそれ以上は聞きません。
本当にたいしたことではないのかもしれないし、
(無意識ですけど)自分のネガティブな感情を見たくない場合もあるかもしれません。

でも・・・・
そのあと、
苦しんでいる方ほど、
(その苦しさにちゃんと向き合おうとしている方ほど)、
自分自身に関する、深~い洞察の言葉が出てきて、
私は驚き、感動するんです・・・
それだけでも、苦しさに向き合う価値はあると思うんですよ・・・・・・

あと、自分を主語にしたグチや文句は、
結局自分が責任もたなくちゃなりません。
聞く相手は「フーン、アンタはそう思うの」と言ってりゃいいので、
さほとハタ迷惑にはならないだろうと思うのですけど、
どうでしょうか。
  1. 2009/10/20(火) 00:00:00|
  2. カウンセリング

あやまるということ3

自分の書いたものは、恥ずかしくて読み返すことができずにいたのですが、
久々に、ホームページの雑文を読んでみると、ぎこちない文だけど、
なかなかいいこと書いているんではないか?

そのなかのあやまるということをみて、
この続きって、書いたっけ?
と調べると、あやまるということ2というのをブログに見つけました。

そしてまた、そのつづきが書きたくなった。
まだ、私には、あやまらなくてはいけないことがあったんですよ。


それは、
自分がないがしろにしてきた、

無きものにしようとしていた、

自分の感情に対してです。


自分の中にある、

醜い、
おぞけだつ、
不快な、
いやらしい、
吐き気をもよおす、
いやーな感情たちに対してです。

アンタたちもいたよね、ゴメンネ、否定し続けてゴメンネ、
無視してゴメンネ、と。

そうすると、その感情たちは、やっと気づいてくれたか、
と喜び、変化を始めるのです。

憎しみ、恨みつらみ、嫉妬、憎悪・・・

感情はわるくないんです。
感情はハンドバッグ、
自分の大切な持ち物のひとつなんです。

私は批判批評が、趣味のように好きだったのですが、
カウンセリングを学ぶと、それができなくなっていきます。

今は、鏡の法則という言葉も一般化していますが、
他人を批判批評するということは、
そのことそのものが、自分自身だということを表明するようなものだから。

善や美しさしか知らない人は、
他人にも善や美しさしか見えないんですよ。
だって、それしか知らないんだから。

他人に、醜さや、欠陥をみつけ、批判する人は、
もちろん、自分の中にある醜さや欠陥を知っており、
それを裁いたり、否定したことがあるからです。

自分にものすご~~く不愉快な感情を引き出させる、
いやーな人を見たとき、
その人が、自分の投影(鏡)とは、
とうてい思えませんし、
絶対に絶対に、そうは思いたくないものです。

でも、くやしいけれど、
他人にとてもキタナイものを見たとしたら、
それは自分の中にあるんだな。

その、自分の中にある、
絶対に否定したい、醜い、キタナイ感情に対して、
ごめんなさいを言うんです。

自分の醜さを、
しぶしぶでも、その存在を認めて、
あやまってやれたらどうなるか。

・・・・他人の醜さ、いやらしさ、キタナさを、
それもアリだな、わかるよそれ、と認められるようになるんです。

私は愛犬家です。
犬を平気で捨てたり、虐待する人に対して、
多くの愛犬家は、「信じられない!」「許せない!」と言います。
そうでしょう、それが普通です。

でも、私は、どうしても、そう思えないんです。

なぜなら、自分の中に、
もしかしたら犬を平気で捨てるかもしれない、
虐待するかもしれない、
そんな残虐性があるのを知っているから。

もしも、極限までお腹がすいたら、ジョイスを八つ裂きにして、
喰っちゃうかもしれない。
そんで、ウマーイ!と思うかもしれないんですよ。
青虫ちゃんたちだって踏んづけてるしね。

自分の中に、美と善しかない人は、ソレもう最高。

でも、自分の中に、キタナイものや悪があるなら、
それに目をつぶったり、なかったことにしないで、
その存在を認めてあやまるといいと思いますよ。

それができない限り、
すごーく不快な感情を引き出させる他人への批判の気持ちを
消すことはできないでしょう。

自分の感情に気づくのを、こわがっている人がいます。

でも、自分の中に、醜い感情があったとしても、
それはハンドバッグ。
自分そのものではなく、自分の持ち物なんです。

持ち物だと気づけば、何もこわいことはありません。

それに飲み込まれたり、振り回されることはなく、
自分自身がコントロールできるものなんです。

気が向いたらつづく

  1. 2009/10/16(金) 00:00:00|
  2. カウンセリング

恐怖の人間様

我が家には、見たこともないようなキレイなチョウチョがたくさんきます。
アザミの花を蜜を吸ったりしてる。
それに、我が家にはチョウチョのこどもたちの、ごはんもたくさんあるのね。

アニマルコミュニケーションセミナーも受けたばかりだし、
わたし、青虫さんや、毛虫さんと、お話しながら、小松菜摘んでたの。

ごめんね、青虫さん、毛虫さん、
うちの小松菜は、あなたたちのゴハンじゃないのよ。

アッチに緑のハッパがいっぱいあるじゃない?
アタシが向こうへ連れていってあげるから、アッチのハッパを食べて
ちょうだいね・・・・・

と、1枚の葉につき、10匹は、いる、虫たちを、畑から離れた草むらに移し・・・

移し・・・・・

移し・・・

やったわ、ハッパ数枚。

だけど・・・・


ああっ、ダメだ、

こんなことやってられネェ!

メンドクセ!


残りの虫さんたちは、
私の愛用の、コメリの黄色い長靴の下で、
圧死したのでした・・・・

しかし、今年は、スズメバチが我が家の玄関に巣をつくったのは
たったの2回だったから
殺した女王様も2匹だけ。

そして、去年はネズミ一家を皆殺しにしたけど、
今年は、ネズミは我が家に住みつかなかった。(メリーちゃんのおかげ?)

そして2年連続で、屋根に巣作りし、それをなぜか途中放棄したキセキレイは、
今年も途中放棄したわね。

ちょっとさみしいけど、でも、それで、いいの。

竹やぶでは、「ぎゃお!」と鳴く鳥が、巣をつくってます。



  1. 2009/10/15(木) 00:00:00|
  2. 虫 動物

心臓の動きを変えたのは、シータ波の効果なのか?

はげしくたたかうふたり。

tatakau

このとおり、ジョイスは、すこぶる元気で、
皆様をだましたみたいなのですが・・・・

あのとき、お医者さんは、

「もう長くない・・・」

「とても深刻な状況・・・」

「もって数か月・・・」

と、おっしゃったのです。

犬を飼うからには、いつかはこういう日が来る。
その覚悟はあったものの、私も、あの日は、ゴハンはまったく喉を通らず、
一睡もできず・・・・

血液検査では、肝機能が悪くなっていたので、
それがもしも心臓の影響で、そして、これだけ激しい症状が現れたのなら、
私も末期的だと思ったのでした。

心エコーでは、お医者さんは、「うわっ・・・これは・・・(絶句)」と言ったので、
私は絶望的な気持ちになりました。

あとは、腹水がたまってくるのか・・・
どれだけ苦しむのか・・・
と、考えると、とにかく、後は楽に・・・
・・・とそれだけ考えていました。

心電図も異常のようでした。
これといった病状にあてはまる所見ではないのだが、
普通ではない・・・と。

数か所、明らかに普通でない波形があったのと、
もうひとつは、

「心臓の動きが、安定しすぎている」
と、いうものでした。

ジョイスは、もともと、すごくビクビクしやすく、また興奮しやすい犬です。

特に、診察室では、すぐそばに、でかいボルゾイちゃんはいるし、
ネコはニャーニャー鳴いてるし、
普通、心臓の動きが変化するはずです。
なのに、変化していない、と。

しかし、これは、私は密かに、シータヒーリングのせいか、と思ったのでした。
(もしかしたら、ガマの毒のせいかもしれないけど)
ジョイスが診察室で落ち着けるように、私はずっとシータ(アルファ?)波状態で、
付き添っていたのです。

シータヒーリングを受けた方は、みんな感じられていると思いますが、
ヒーリングのとき、目をつぶっていただいた後、ぼーーっとなります。

セラピストの脳波がシータ波になると、クライアントの脳波もシータ波になるというのです。
(現在、科学的検証も始められています)

んで、スカイプや、電話でヒーリングを受けた方も、
同じようにぼーーっとなったと思いますが、
距離は関係ないようです。

ジョイスの心臓の動きが
「安定しすぎていた」のは、
もしや、ジョイスもシータ(アルファ?)波状態になっていたのではないか?
と思ったのでした。

日常でも、犬には、よくヒーリングをしますが、
ごはんの後なんかだと、犬はすぐに、眠りに落ちます。
それも、
まるで麻酔にかかったときみたいな(麻酔にかかったときも脳波はシータ波になるそうです)
息してる?と思うくらいの深い呼吸になったり、
レム睡眠で、手足や目をピクピクさせたり、
という状態になります。
ジョイスの診察室での状態もそうだったのだと思いたい。

さて、本当は、全快したのかどうか確かめるなら、もういちどお医者さんにいかなけりゃなりません。
でも、私、まだ勇気がでません。

ところで、本当の原因だと思っているがまがえるの毒ですが、
これは、
せんそという漢方も使われているものだそうで、毒薬です。
強心作用があるものらしいです。
ウチにも、カエルは、ウジャウジャ住んでいますが、(そして、トカゲも蛇もウジャウジャ)
ガマは、死ぬくらいの毒があるそうなので、要注意ですね。
万一、口にした恐れがあるなら、まずは水でよく洗うことらしいです。
  1. 2009/10/13(火) 00:00:00|
  2. シータヒーリング

文明開化する我が家

イモ掘った。ナカナカリッパ。
imohotta

イモ掘って、
腰イテっ、こし・・・

そんなときは、吸い玉です。
すぐやる。
すぐやると、筋肉痛を残さないんですよ。
筋肉疲れると、血流が悪くなる、それほっとく。だめ。
ためないで、今日の疲れは今日のうちに取りましょう。
そうすると、あとがラクなんですよ。

風に楽しそうに揺れる竹たち。
kazeniyureru
      揺れるみずひき。
       kazeniyureru2

揺れる白よめな。kazeniyureru3
 
揺れるふじばかま。
kazeniyureru4

秋の花は好きなものばかり。
ほととぎす、野菊、のこんぎく、あざみ・・・どれも、グチャグチャに咲いていますが、
いちおう植えたものなんです。

それはともかく、我が家に大変なことが起きた!

なんつっても、テレビが来た!

terebi
びっくらこいたじょい子。
terebi2
画面がズームアップしたら、
ビビって後ずさりし、ワンワン!と吠えかかってました。
めり子はといえば、「誰かいるの?」とテレビの後ろにまわって、調べてる・・・・






  1. 2009/10/09(金) 00:00:00|
  2. わたしの日常

治癒力を高める方法

ごんたくん(11才)でっす!

gonntakunn
(&ごんたくんのおかあさんに会えたんで、大興奮のジョイス。)

これがマー、ごんたくんモー、たいへんだった!
ごんたくんも、病み上がりなのです。

ごんたくんは、ついこないだ、落ちていたトウモロコシを丸ごと飲み込み、
腸にひっかかって壊死寸前となり、開腹手術したのです。
それがこの通り、元気いっぱい!
サスガ、ウチの犬らと同じ、喰い気激烈もと保護犬!
そしてすばらしい生命力。

ウチのじょい子も、何か毒を口にしたのだとしたら、すごい治癒力です。
一晩中吐き続けたけど、下痢はしなかった。
毒が腸に達する前に排出しようとしたんでしょう。
水をたくさんほしがったのも、吐き続けたのも、
とても苦しそうだったけど、自然の摂理。
無理に止めなくてよかった。
体の仕組みはよくできてるもんです。

そして、この、自然治癒力を高めるには。

食べ物だとか、イロイロあるけど、
やっぱり、
「愛されてる感」
「生きるのを応援されてる感」
でしょう。
わたしもかげながら、届いたかどーかわかりませんけど、
ごんたくんが入院しているとき、
「ごんたくん、パパとママが早く会って遊ぼうって待ってるよ。
元気になるんだよ~」と
心の中で声をかけてました。

この、待っててくれてるんだ、
という希望って、
犬もわかるんじゃないかと思うんです。

愛され感を高めて、病への抵抗力を強めましょう。


  1. 2009/10/06(火) 00:00:00|

皮膚、愚痴る

夫の体に、恒例のぶつぶつ、カユカユが出てきました。

これは、ときたま出るもので、特に右わき腹、ちょうど肝臓のあたりに出ます。
夫は、大酒のみだし、これまでは、ストレスがかかったときに出ると思っていたのですが、

せっかくですから、シータ波になって、皮膚がいわんとするところを聞いてみました・・・・




したら、こんなイメージを感じました。



hihu

・・・だってよ!と、夫に伝えました。

したら、


hihu2

夫は、非常にめんくらい、
驚いた様子で、





いやぁ、わりいわりい!
ほんとわるかった、
わるかったねえ、
オレの皮膚!


と、心から、皮膚にあやまったのです。




・・・・そしたら、

次の日、

ブツブツが、消えちゃいました・・・・・



アナトミーで、習いましたが、皮膚は、かわいがられるのが大好き!
「愛され感」が必要なのです。

あと、皮膚は、自分が傷つかないと思っているため、
傷ができると、傷つけられたことにショックを受けるそうです。
そんなときは、皮膚ちゃんに、大丈夫だよ、と、
安心と、励ましを与えてあげて、
トラウマを解放してあげるといいようですよ。

皮膚ちゃん、愛してあげましょう。
  1. 2009/10/04(日) 00:00:00|
  2. シータヒーリング
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。