いきたきのこ

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どーでもいい

お昼どきの、テレビ東京の、
「トゥルーコーリング」っていう、サスペンスドラマを
いっぺん見たら、やめられなくなってしまいました。
ちょっとぉ~おもしろいよ。
(誰にともなく)
明日はジャックの秘密がわかるので、
絶対忘れず見なければ。
テレビドラマにはまるなんて何年ぶりでしょう。
真珠婦人以来か。 [どーでもいい]の続きを読む
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  1. 2005/08/31(水) 00:00:00|
  2. どーでもいい
  3. | コメント:6

齢と老化

どこか調子が思わしくないとき、
その本人や、周りの人が
いとも簡単に、
「年なんだからしょうがない」とか
「老化のせいだから仕方ない」という言葉を使うことがあります。

それは、「それなら、あきらめもつくでしょう」
というなぐさめなんでしょうか。
自分で言うなら自嘲や謙遜?

私は、「年だから」と、
「老化だから」という言葉は、
特に鍼灸治療の時には、絶対に使いません。
あまりうまい言葉も浮かんでこないのだけれど、
別の言い方をします。

年齢というのは、
増えるばかりで、もとにもどすことができません。
と、いうことは、「年だから」が意味するところは、
「これからますます悪化する」
「下る一方」「なおらない」
ということにはなりませんか。

私はまだ、「年」というのを感じたことがないけれど、
どこか具合が悪くて治療にかかって、
「老化だからあきらめなさい」と言われた最初の日には、
ショックを受け、きっとガッカリすることでしょう。
体の衰えを実感するときは必ず来ると思いますが、
体の変調を年齢の積み重ねのせいにするのは
正しくありません。

それは、改善の余地があるからです。
現在、体に何らかのつらい症状があっても
これからのち、楽に快適にすごせる可能性は十分あるのです。
年のせいだと投げるしかありませんけど。
また、体の生理的変化を補うなにか別のものが
必ずあるはずです。
私は安易に「年のせい」と言ってはいけないと
思っています。

「年ですかねぇ」と、同意を求められることも
よくありますが、
「ちがいます!」
外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。




  1. 2005/08/29(月) 00:00:00|
  2. 心と体
  3. | コメント:0

香西かおり

夢をみた。

お習字の時間で、
「香西かおり」
という字を書かなければならない。
お習字は苦手で大嫌い。
私は、「あとで一気に書くの」といいながら、
他人のを見てまわっている。

皆、どんどん何枚も書いている。
そうこうしているうちに、授業時間が終わりに近づいてきた。
あわてて書き始めようとすると、
水がない。
水飲み場が、学校のずうっと端っこの方にある。
全力で走って、水を取りに行く。
全力で走って取ってきて、墨をするが、色が薄い、
もう時間がない、隣の子に、墨汁貸して!という。
隣の子(アスカ)は、もう道具をしまって帰るところ。
私があわてているのに、日々の悩み事を私に語り始める。
うわの空できく。

「香西かおり」って
右側に「香西」
左に「かおり」か?
配分が難しいなあと思って、習字紙を見ると、
変則的な漫画のコマ割みたいなのが、書いてあり、
そこに当てはめて書かなければいけない。
ますます書きづらい。

わずかな薄い墨で、書き始める。
筆がぱさぱさしていて、ものすごく下手!
書き終えて教室を出て行く人たちに見られる。はずかしい。
左ききなので、トメやハライが、うまくできない。
だけど時間がない、あせる。

「香」の字を書く途中で目が覚めた。
いつも夢で困り果てると、途中で目が覚めて救われる。

手に、筆が紙をかする感触が残っていた。

起きて、トイレにいって、
寝なおした後は、
中尾ミエみたいなひとが、屋台で大盛り焼きソバをつくってくれる
夢をみた。
中尾ミエみたいなひとは
バイトを始めたばかりでわからないけど、
お勘定はたしか500円だわよ
と言った。

なんで「香西かおり」なのかわからない。

焼きソバの夢は、
単にハラが減っていたのだと思う。

  1. 2005/08/26(金) 00:00:00|
  2. どーでもいい
  3. | コメント:2

調教された男

自分のミッションはなにかとずいぶん一生懸命に考えたが、
「自分を幸せにすること」しか思い浮かばない。

本当に自分のことしか考えていない。

これが、子供でもいたら、別のことを考えつくかもしれないが。

でも、自分が満たされていないで、
他人に何かして差し上げようと
いうのも、無理な話で、
そんなことをしようとすると、
なにか損した気分になったり、相手に負い目を
感じさせてしまったりする。

また、何かに迷ったときに、
「このことが、長いスパンで考えて、自分を幸せにするかどうか」
ということを基準にすると、
少し、決定が容易になるように思う。

ためしに、夫に
「あなたのミッションはっ!?」と、尋ねると、
「オノレを捨て去り、
妻に尽くし、
妻を幸せにすることです!」
と、迷わぬ即答が返ってきた。

・・・よろしい。

  1. 2005/08/24(水) 00:00:00|
  2. カウンセリング
  3. | コメント:2

三叉神経痛 

ミッションが大事と習った。

私が勉強中の、カウンセリングスクールを主宰する田中先生が、
「私の夢は、このカウンセリングスクールが
繁栄することではありません。
カウンセリングスクールなんかなくなってしまい、
ここでの理念が人々に浸透することです」と
おっしゃっていたことが印象的だ。

先日、カウンセリングの集中セミナーの帰り、
運良く、帰りの電車で田中先生とお会いしたので、
そのことをお伝えすると、
「そうだよ。
カウンセリングスクールが繁盛するということは、
心病む人に増えてもらわなければいけないからね。
でも、私たちの目指すことはそうじゃないでしょう。
もしも、このカウンセリングスクールがなくなったらなくなったで、
私たちには新しい仕事が与えられるのです。」
とおっしゃった。

企業においては、「売上増大」とか「業務拡大」
「実績を上げる」などということを目標として
掲げることがあるが、
これは目的地ではない。
これらは手段すぎず、その手段によって
どこに行こうとしているのかが
ミッションである。

でも世の中のほとんどで、それがわからなくなって、
手段が目的になってしまっている。

たとえば、ミッションがわかっていれば、
少し前の鉄道事故などは起こらなかった。
鉄道会社のミッションは、効率よくお金をもうけることではない。
テレビ番組にしても「視聴率を上げる」ということを
目的地にせず、
本当のミッションが
わかっていれば、もう少しマシなものができることだろう。

さて前置きが長くなったが、
2ヶ月前から母の歯茎が痛いという。
洗顔時や、ふっと唇を動かしたとき、食べ物を噛んだ一瞬、
「世界の痛みを一手に背負ったような激痛」
が、「ひぃ~ん」と右上の歯茎に走るという。
歯科では異常なし。
大学病院に行くと、お医者さんに
こともなげに、
「神経痛ですよ。
これは一生なおりません。」と言われて、
薬を出されたそうだ。
「と、いうことは、一生この薬を飲まなければいけないと
いうことですか?」と母が尋ねると、
「そーです」とのことだそうだ。
つまり、患者にとっては「世界の痛みを一手に背負ったような激痛」が
一生治らないという宣告だ。

その先生にミッションがあるとしたら、
「目の前の病気を退治すること、
自分の知る医学的知識を伝えること。」
なのだろう。
その先生の知識の中で、その病気が退治できないのであれば、
「できません(なおりません)」というほかない。

もしも、
「患者の苦痛を少しでも和らげること。
回復の手助けをすること。」
をミッションにしている先生であれば、
「一生なおりません」などという言葉は出てこなかっただろう。
なにしろ回復を妨げることはあっても、
患者を助ける言葉ではないのだから。

ただの一言で、その人のミッションはわかる。
ミッションっておっかねえ。
前者と後者のお医者さんだったら、
私は間違いなく後者にかかりたい。

ちなみに、私のつたない鍼灸治療2日ほどで、
母の顔の痛みは9割がた、取れた。



  1. 2005/08/22(月) 21:26:33|
  2. カウンセリング
  3. | コメント:3

もつ焼 山市

阿字ヶ浦の花火大会に行こうとしたんだけど、
勝田駅で乗りかえしようとしたら、電車が出た直後で、
40分くらい、待たなくてはいけない。
それでは花火が終わってしまう。
というわけで、しょうがないので、駅近くの、「もつ焼き山市」に
行った。
ここは茶房集のオーナーに教えていただいた店。
豚肉の串焼きがおいしくて、いつも、ものすごく混んでいる。
隙間を空けてもらい、夫とカウンターに座った。

右隣にカップル。
話がはずんでいるようだ。
右は見ないが、耳はダンボ。夫そっちのけで話に聞き入る。
なんでかというと、合気道の話をしている。
私も知っている師範の名前が出てきたりする。
知ってる人かと思ったら知らない人。
20代後半~30代前半位の女性と、
30代後半~40代前半の男性。
女性がほとんどしゃべっていて、たまに男性が答える。
二人はデキているか、いないのか。

デキてはいない。

なにしろひたすら合気道談義。
よくまあこの女の人はも合気道のことばかり話し続けられるものだ。

夫「ジョッキもう一本!おまえは?」
私「もういらない」

合気道の話。棒術がどうの、半身がどうの。
道主のそばにはいつも護衛が二人いるそうだ。
「そりゃ、急に暴漢に襲われるかもしれないべ。
そんなとき、倒されてしまったらまずいべ」
そうか。
道主というのは、大変な仕事なんだなあ。

夫:「いいな~、生ビールサーバー。
ほしいな~」
「いいな~一家に一台。」
「ビールサーバー」
私:「・・・」

夫:(カウンターの中の人に)「いやあ、今日ね、
花火行けなかったんですよ。だからこの店来たんですよ。
よかったあ、花火見れなくて」
夫:「うおっ、いいねえ、葉生姜。お前も食べるか?
うーむ、うわおっ!!この清冽な香り、夏の香りだねえ!」
私:「・・・」(なにいってんの、ウチでだってしょっちゅう出してんじゃん!
いつも残すくせに!!)

たまねぎスライスだとか、ウチだっていつも食べているのに、
飲み屋だとやたら感動する。

夫:「いいねえ、ビールサーバー。
今日は花火見れなくてほんとによかった・・・」
(夫は花火にあまり興味がない。
私は熱狂的に花火好き)

しかし、ずっと合気道談義。この二人はどういう関係なのか。
合気道場の先輩後輩の関係だと思うが、
なぜ二人きりで飲むことになったのか。

夫がジョッキ3杯、ウイスキー水割り1杯飲んだところで、
隣も帰り支度を始めた。

女性:「ねえ~、アドレス教えてくださいよう」
男性:「いや~、メール、かあちゃんと息子は持ってんだけど、
オレは持ってないんだよ」

えっ、かあちゃんとむすこ。

女性:「え~?、アドレスつくるなんで簡単ですよう。
(つくり方を延々説明)、じゃ、電話は?」
男性:「オレ、あんまり電話は出ないのよ」
女性:「アドレスあると便利なんですよねえ、
電話だと悪いと思っても、ちょっとした相談するとき、
メールを・・・」
どうしてもメールしたい。
メールしたいのね。

あとは、店を出てしまったから知らない。
  1. 2005/08/03(水) 20:14:07|
  2. どーでもいい
  3. | コメント:9

自分ではない自分②(役割分担のなかで)

バッチフラワーのレベル3の講習を受けたとき、
レメディの中からひとつを選び、
家族の中の役割を演じるロールプレイをやりました。

私は「人を喜ばせようとしすぎたり、言いなりになる」セントーリーの
性格を持った、息子の役をやりました。
そのとき偶然、お父さん役の人も、同じ性格を演じたのです。
お母さん役の人も、同じセントーリー。

そういう家族のなかにいて、
息子である私にどんな感情が芽生えてきたかというと・・・

「これは、オレがしっかりしなくちゃ!
オレがこの先のことを決断していこう!」
そんな気持ちですかねえ・・・
セントーリーではない感情が、芽生え始めたのです。

家族というのは、それをやめて逃れようのない場です。
それがどんな場であっても、その中で
生きていかなければならない。

たとえば、「よくできたいい子でなければ、
パパとママがケンカするから、
その家庭で生きていくために、一生懸命いい子にしてた。」
という人がいたとして、
本来は自由奔放な性格であったかもしれませんが、
家族のバランスを保っていくためには
いい子ちゃんをしなければならない状況にあったわけです。

そのようにして、環境の中でつくられていく自分があると
思います。
そうやって、自分の新たな面がうまく発展していけば
いいと思いますし、
また、その反面、ずうっと無理がかかり続ける場合もあると思います。

そうすると、自分のことがわからなくなってしまうのです。

また、ならなければならない自分になれなくて、
葛藤が起きたりします。
「ならなければならない自分になれない自分」が、
本当の自分なのに、
その本当の自分を叩きたくなったりします。

自分らしさ、と簡単に言いますが、
自分らしさを、本当に知り、またそれとしっくりくるように
生きていくというのは難しいことと思います。
自分らしさを勘違いしている人も、多くいるかもしれないし、
一生わからないまま終わるかもしれない。
これを自己不一致とでも言うのか・・・
自己不一致はきっと苦しいと思います。

  1. 2005/08/02(火) 00:00:00|
  2. カウンセリング
  3. | コメント:0
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